普通って何??(2)
前回の記事で,「この世界に生きている人で1人として同じ人はいない」と
いう認識を持つことの重要性を説きました.
では,なぜ"人は自分と違う人を排斥してしまうのでしょうか?"
今回はそこに焦点を置いて考えてみたいと思います.
どうして自分と違う人を認められないのか??
昨今,ずっと人の個性を認められないことによる問題が日本社会に蔓延している
と思います.
その典型例が「いじめ問題」なのかなと私は考えます.
いじめは
「あいつ,変なやつだ」
「頭がおかしい」
そんな自分と違う人に対して「お前はおかしい」と一方的に突きつける行為です.
なぜ,こんなことをする人が後を絶たないのでしょうか?
結論から言うと,私は,いじめをする人は"自己受容"ができていないから,こういった行為に走るのだと考えています.
自己受容とは・・・
「ありのままの自分を認められること」です.
「自己肯定感」を持っていると言い換えることもでき,この感覚を持っている人は
「根拠のない自信」に満ち溢れています.
対して,容姿,運動能力,地位,名誉など,目に見えるものによって,自身を認められる人は
「自己効力感」を持っているということができます.
2. いじめっ子の心の中はどうなってるの??
では,問題の核心を分かりやすくするために,まず,「自己受容ができていない人は代わりにどんな手段を取るか」を考えてみます.
自己受容ができていない人の行動は次の2つに分かれると考えています.
① 自分を責める
これはいじめられる側に多い行動パターンでしょう.
自分はありのままでいいという感覚をもっていないので,他人から何か言われると
「どこか変なのかな?」と自分の内側に批判の矢を向けるのです.
② 他人を責める
一方,こちらはいじめる側に多い行動パターンです.
一見,他人を責めるという行為は,自信がある人がすることだと思ってしまいます.
これが,実は間逆なんです.
幼少期から,親から「ありのままの自分」を認められていないと,その子はどうにかして
その不足感を補おうとします.そうしないと,心が耐えられなくなるからです.
どうするかというと,何かしら目に見えるもの,能力などを誇示して,他者に対して優位性を示すことで,なんとか心の平静を保つことを図るのです.
具体的には,
「ありのままの自分を認められなかった」
→「ありのままの自分ではダメだ」
→「そうだ,おれが偉い人間だと周囲に示せばいいんだ」
→ 「じゃあ,弱そうなあいつをいじめておれの力をみせつけてやる」
そういった論理で,心を落ち着かせようとしています.
こういった発言をするがために,周囲はこの人が自信がないとは思わないばかりか,
本人もそういった発言をすることで,暗示にかかったような状態になっているので
おそらく気がついていません.
本当に,つまり,自己受容ができている人は,他人に自分の力を認めてもらわなくてもいいので,いじめなんかする必要がありません.
これは,何も子供のいじめ問題だけの構図ではなく,大人でも職場いじめやパワハラなど形を変えて,様々な人間関係上の問題として噴出しています.
では,そうしていじめられた人はどうしたらいいのでしょう??
次回以降考えていきます.
まとめ
今回の記事の内容をまとめるとこんな感じです.
(1) いじめをする人は「自己肯定感」の不足を「自己効力感」で補おうとしている人
(2)「自己肯定感」の不足はいじめ問題のみならず,様々な人間関係上の問題として
現れる.
次回以降,いじめ問題を考えることで,いじめられている人に限らず生きにくいと
感じている人がどうしたらいいか,解決策を模索していきたいと思います.